3−2 その後も事故は続く

 

 2人が死亡する4年前に、杏林大病院で起きた「『杉野隼三くん』の割り箸事故」は大きな関心を集め、現在でも刑事裁判、民事裁判の両面でその責任が問われている。2人の死後に妻が「週刊朝日」に寄せた手記には、病院での娘との会話が記されている。
 
 「99年にここの病院で起きた『割り箸事故』が会話にのぼったこともありました。割り箸がのどに刺さって運びこまれた男児が、不十分な診断をへて死亡したとされているとても悲しい事件です。でも娘は『事件をきっかけに、この病院も変わったから安心よ』と話し、病院を信じきっていました」
(出典:週刊朝日2005年11月25日号)
 

 週刊朝日はこちら→asahiw-1.PDF へのリンク

  割り箸事故についてはこちら→suginoasahi.PDF へのリンク

こちらも→suginob-1.PDF へのリンク


  事故を通じ、医師、看護師の力量の低さだけでなく、外部からはわかりにくい病院の管理能力の欠如や、組織間の高い垣根などを、遺族は知ることになった。

今回の事故も、割り箸事故も、悲しい出来事ではあるが、病院が再発防止対策に乗り出すよい機会でもあったはずだ。しかし、そうした対策がとられていなかったのか、その後も事故は続いている。
 
 杏林大病院では、母子の死後2年間に、下記の事故が報じられている。

@平成16年01月31日 チューブ外れ 1.5歳男児重度の障害 
病院による事故の公表が、約1年後の12月25日であったことを疑問視する声もある

A平成16年10月06日 内子鏡で大腸に孔 80歳代女性死亡
三鷹警察署への届け出は2日後だった(医師法21条では24時間以内に届け出が必要)

B平成17年06月05日 呼吸補助具のキャップを外さず 76歳男性死亡  

C平成17年06月30日 脳血管内手術で血管損傷 70歳代女性呼吸停止/重篤 

A、Cは医療技術を問われるものであり、@、Bは初歩的なミスと思われる。@の事故は、2人の死後、わずか3ヶ月後に発生している。

  杏林大病院は、公表する医療事故等の範囲として「患者に重大な損害を与え、医療従事者または医療機関に過失があり、かつ障害と過失と因果関係が明白なもの」とし、公表するか否かは医療安全管理室長等を含む複数の委員で構成される担当委員会(以下「委員会」という)で検討し、その結果を踏まえて病院長が決定する」と定めている。(出典:(杏林大学病院の)医療事故等の公表に関する指針」)

 2人の事故は、遺族が記者会見を開いて公表したが、杏林大病院は公表していない。

   患者のプライバシーに配慮しながら、積極的に事故を公表し、医療関係者間で共有する姿勢がなければ、今後も事故はなくならない。まして院内において、調査報告書を主治医にも見せない状況は、驚愕さえ覚える。

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