2−4 病理解剖の実態
(1)病理解剖までの経緯
死亡直後、病院側から「死因がよく分からないので、病理解剖したい」と申し出があった。遺族は事故を起こした病院での病理解剖では客観性に欠けると考え、第三者による病理解剖を強く求めた。しかし病院側は「入院後1月以上が経過しており、医師としての良心にのっとり全てを明らかにしたい」と説明した(「診療内容調査報告書その2」7pに記載)。このため、遺族も不本意ながら、最終的には同意した。
事故を起こした病院での病理解剖に遺族が反対した場合、他の医療機関での病理解剖や、司法解剖などの選択肢があることを遺族側に申し出るべきと考えるが、そうした説明はなかった。
(2)解剖医の選定に問題
1.未熟な医師が執刀
病理解剖は、杏林大学の病理学教室に所属する2人の医師が担当した。この医師は教授を含めた同教室に所属する17名の医師の中で、序列16番、17番目に位置している。執刀した医師は病理専門医の資格さえ有していなかった。このような未熟な医師が担当したためか、死因はよくわからずに終わった。
本来であれば、死因を究明するための病理解剖は、教授など、豊富な経験や高度な知見を持った医師が執刀すべきである。第2回説明会でこのことをただすと、担当教授は「私は自宅にいたので、『遺族から病理解剖の承諾を得たのであれば、許可する』と電話で伝えた」と説明した。これに対し、遺族が「未熟な医師に執刀をさせたことは、まことに不適正である」と指摘したのに対し、同教授は「不適正であったかも知れない」と認める一方、「病理解剖医はそのような経験をしながら、みな育っていくのだ」とも発言した。
死因を究明するための病理解剖と、実習のための系統解剖(献体による解剖)を同一レベルで考えていると受け止められる発言だった。遺族は遺体を献体したのではなく、死因を究明するための病理解剖を承諾したのである。この教授は大きな考え違いをしていたと思う。未熟な医師に執刀を命じた担当教授の責任は重いと考える。
病理専門医の資格は、一定の条件を満たした後に、学会で実施する講習や試験にパスすることで与えらるものが多い。しかし、身内である学会員に対する資格であるため、その基準は相当甘く、「日本の専門医制度は最低限のレベルを保証するものでしかない。野球で例えれば、一応プロ野球選手だが、エースやホームランバッターはおろか一軍選手を意味するものでもない」(平成18年11月5日付 日本経済新聞)との指摘さえある。今回の解剖は、そうした資格さえ持っていない未熟な医師による執刀だった。
2.情報開示に後ろ向き
遺族は、説明会のようすから、病理解剖医の力量に疑問を持ち、平成16年12月26日付の書面で、執刀医の病理専門医の有無について尋ねた。これに対して病理学教授は個人情報の保護を理由に、「遺族にはお知らせできない」と回答した(平成17年2月28日付書面)。
しかし、日本病理学会のHPには、執刀医が平成16年8月2日(みな子たちを執刀した約9ヶ月後)に登録されたことなどを記した資料(日本病理学会会報第199号平成16年8月刊)が掲載されている。経験不足の医師による解剖も問題だが、学会のHPで公開されているような情報であっても、遺族には知らせまいとする杏林大学の病理学教室の姿勢も大きな問題である。
なお、再度明らかにするよう強く求めたところ、杏林大病院は平成17年4月10日付で回答してきた。
(3)手続きの不備、説明ないままの脳解剖(開頭)
解剖当日、遺族に示された病理解剖承諾書には、「右の遺体が死亡解剖保存法の規定に基づいて貴院にて解剖されることに異存はありません」とだけ記され、とくに病理解剖の内容についての具体的な説明はなかった。遺族はこのとき、病院から示された承諾書の適否を判断できず、そのまま署名した。
しかし、日本病理学会が示す承諾書のモデルなどでは、特記事項として「脳解剖の是非の希望など」を記入する欄が設けられている。他の大学病院の承諾書も同様の内容となっており、「剖検後に問題が起こることがあるため、剖検の許される範囲について十分了解を得ておくように」と指導している大学病院も多い。
杏林大病院は、遺族に脳解剖の是非について一切ふれることなく、「死亡解剖保存法の規定に基づいて貴院にて解剖されることに異存はありません」とする内容のみを示し、遺族への説明なしに、2人の脳を解剖していた。若い執刀医は遺族の考えを確かめることもなく、その解剖には、産科の教授をはじめ多くの医師が立ち会っていたにもかかわらず、遺族の承諾のないまま、2人の脳を解剖していた。
日本病理学会では、病理解剖の倫理的課題について、平成13年に提言書をまとめている。この提言書に記載されたモデルに準拠した承諾書を作成する病院も多い。なお日本病理学会では承諾書のモデルの内容について、承諾を求める必要最小限度の項目であると記している。
★杏林大病院の承諾書はこちらshouudakukyorin.PDF へのリンク
★日本病理学会の提言(承諾書モデル)はこちらrinri.html
★立川綜合病院・メディカルセンター(長岡市)の承諾書はこちら
shouudakutachikawa.PDF へのリンク
(4)警察に届けず解剖
医師法21条は、異状死の届出義務について「医師は、死体又は妊娠4月以上の死産児を検案して異状があると認められたときは、24時間以内に所轄の警察署に届け出なければならない」と規定している。
日本法医学会は診療行為に関係した異状死として「診療行為に関連した予期しない死亡、およびその疑いがあるもの」などを指し、24時間以内に警察署に届けなければいけない、としている。今回の遺体は、診療行為に関連した死亡の疑いがあった。
病院も「予期せぬ死の範疇にある可能性があり、この観点から本例は異状死として取り扱われるものであったと考えられる」(「診療内容調査報告書 その2」5pに記載)と異状死を認めている。 「死亡直後に病院が異状死と判断しているのであるから、公正な解剖を期すためにも、杏林大病院で病理解剖すべきではなく、速やかに警察署に届けるべきであったのではないか」とする遺族の主張に対して、杏林大学の法医学教授は「警察に届けるべきであった」と認め(第1回説明会で証言)、同医学部部長も遺族との面会の席上で、「最初から司法解剖をすれば良かった」と発言した(平成16年12月18日)。
(5)解剖のずさんさ
1.事前協議なしの病理解剖
病理解剖に先立って、臨床医と病理関係者での協議が必要とされている。特に臨床医は死亡に至った経緯、所見などを詳しく説明することを求められており、執刀医はそれを聞く必要がある。しかし、執刀医によれば、解剖する際、当時臨床医の所見や、推定される死因についての説明は受けておらず、説明会当日に「(死亡に至った経緯などは)遺族から配布された書類を見て始めて知った」と述べている(第2回説明会で証言)。
2.羊水塞栓症の病理検査なし
病理解剖の必要性を遺族に説明するにあたり、病院側は「死因として羊水塞栓症、肺血栓、脳内出血、大きな血腫、敗血症性ショックなどの可能性があり、ことに羊水塞栓症では確定診断は肺の病理による」と説明し(臨床側報告書9pに記載)、遺族から解剖の承諾をとった。しかし、病理解剖では羊水塞栓症についての病理検査を行っていなかった。羊水塞栓症については、剖検用病歴抄(資料179p)にも、その有無を調べる必要がある旨の記載があるが、実行されず、死因は不明とされている。
3.解剖所見まとめは計4行
遺族は病理解剖の報告書を提出するよう求めた。杏林大病院は再三の要求に対して、提出を拒んでいたが、病理解剖から1年以上が経過した、平成16年12月25日に、ようやく、病理解剖報告書(剖検所見まとめ)を提出した。しかし報告書に記された病理医としての所見まとめは、2遺体分で計4行だけで、単なる解剖記録のような内容だった。
4.病理解剖の適否を調査せず
遺族は、病理解剖がずさんだったと考え、「病理解剖調査委員会」を設置して、解剖内容について調査するよう求めた(平成17年3月22日付書面)。
しかし病院は「△△、△△の両医師が病理解剖を行ったことに問題はなかったこと、および厳正に病理解剖が行われたことは、本解答書に述べさせていただきました。調査委員会を設けても、これ以上ご遺族の疑問にはお答え出来るとは考えませんので、調査委員会を設置する必要はないと考えます」(平成17年4月10日付書面)との見解を示し、まったく応じなかった。
杏林大病院側は解剖前に「医師としての良心にのっとりすべてを明らかにする、病院を信頼してほしい」と遺族に約束した(診療内容調査報告書 その2 7pに記載)。遺族はこの言葉を信じたことを悔やんでいる。
司法解剖には、高い倫理観や剖検技術、知見が求められており、東京都内で、司法解剖を実施する施設は杏林大病院を含め、東大病院など計5施設に限られている。しかし、杏林大病院で行われた病理解剖の実態を考えると、担当部署こそ違うものの、同病院での司法解剖を信頼していいのかと、不安になってくる。
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