「モデルやりませんか?」 97.10.24

 モデルやっています、というと勘違いされることもありますが、モデルといっても プラモデルの方です。いい年をしてと思われるかもしれませんが、今のハイテク時代 、コンピュータゲームのたぐいの方が子供たちには人気があるようで、プラモデルを やってるのはむしろ一部の大人だけなのではないでしょうか。一口にプラモデルとい っても、テレビアニメなどのいわゆるキャラクターモデルから、車、飛行機、船など のスケールモデルまで多種多様ですが、実物では大きすぎたり、高価すぎたり、もと もと、あるいは、すでにこの世に存在しないものを、縮小された複製物=模型という 形で手にすることができるのがその魅力でしょう。また、素材となるキットが同じで も、付加工作や塗装など、作り方次第で出来映えも変わってきます。少しでも本物ら しくしようと、あれこれ試行錯誤するのも楽しいものです。作るのが買うのに追いつ かなくて、未完成キットが押入れを埋めつくしたり、下手するとキットよりも高い書 籍資料や別売りパーツ類を買い集めたりするようになったら、あなたもモデル稼業か ら抜け出せなくなることうけあいです。
週末は近所の子供に頼まれたミニ四駆の塗装だ...

「川崎の巨匠」 98.3.9

私は2年前に小田急線の新百合ヶ丘に引っ越しました。その当時は、駅前に妙に空き 地が多いなと思っていましたが、ここ半年余りの間にVIVRE(ワーナーマイカル シネマ付き)やOPAなどの大型店舗ビルが相次いでオープンし、駅ビルも増設され るなど、いっきににぎやかになってきました。そんな駅前の喧噪からちょっと離れた 住宅街に、ウィーン菓子工房「リリエン・ベルグ」があります(バス停山口台中央下 車)。このお店は数年前にも分会ニュースで紹介されていたので、覚えている方もい らっしゃるかもしれません。季節の素材をふんだんにとりいれた色とりどりのケーキ はどれもおいしいですが、なかでも一番のおすすめはザッハトルテです。一見地味な チョコレートケーキですが、本場ウィーンを彷彿とさせる味わいを、添えられた生ク リームがいっそう引き立てています。なんでもここのシェフはウィーンのデメルで修 行を許された数少ない日本人の一人だということで、テレビ番組の「チューボーです よ」にも「川崎の巨匠」として登場し、ザッハトルテ作りの秘伝を公開していらっし ゃいました。うーん、昨日食べたばかりなのにまた食べたくなってきた...

「コスメティック売場でお買いもの」 98.4.2

モデル稼業の身にとって、日々のコスメティック売場での買いものは欠かせない。先 日はネイルポリッシャーを購入した。これは木とスポンジを積層したスティックに、 3種類程度の荒さの異なる研磨面がはりつけてあり、一番荒い面で爪の形を整えた後 、順次細かい面を使用して爪の表面がつやつやになるまで仕上げるというものである 。通常、プラモデルのパーツどうしを接着した後、そこにできた段差を消すためにヤ スリがけ(耐水ペーパがけ)を行うが、飛行機の胴体のような曲面の場合、下手をす るとペーパがけをした部分だけ平らになってしまうことがある。ところが、ネイルポ リッシャーは適度なやわらかさがあって曲面になじむため、本来のRを保ったまま接 着線の段差を消すことができる。また、目の細かい仕上げ磨き用の面を使えば、飛行 機や車の窓ガラスなどの透明パーツのくもりを取り除いて、ぴかぴかの透明にするこ ともできる。おそらく、爪とプラスチックが硬度などの点で似ているのでこういう使 い方ができるのだろう。他にも、目の周りなどの細かなメイクアップ用として売られ ている先がとんがった綿棒も、プラモデルが本物らしく見えるよう細かい部分に汚し をかけるときに重宝している。これら種々の綿棒はしきりのついたリップスティック 立てに分類している。周りの視線を気にせずにコスメティック売場を物色すると、い ろいろと使える物がみつかりそうである。

「19年ぶりのタコマーク」 98.5.21

先日、本厚木駅のエスカレータで、私の前に立っていたおじさんのスポーツバッグに 描かれたマークに思わず目をみはった。中心のサッカーボールをとりまくように、幾 本もの赤い線がゆるやかな曲線を描いて下方にのび、いったんすぼまったかと思うと 放射状に広がっている。ちょっと距離をおいて見るとまるでタコのようである。そう 、忘れもしない、1979年に東京で開催されたワールドユースサッカーのシンボル マークである。当時サッカー少年だった私は、中学のサッカー部仲間と、国立競技場 へアルゼンチン対ソ連の試合を見に行った。日本にプロサッカーリーグができるなん て夢にも想像できなかった当時ではあるが、来日していたアルゼンチンユースチーム には若き日のマラドーナやディアスがいたりで、試合はかなりの盛り上がりを見せて いた。ソ連選手の多数が日本のオニヅカ(アシックス)のスパイクを履いていたのも 意外だった。アルゼンチンは前年に本国開催のワールドカップで優勝していたことも あってか日本でも人気があり(水色と白の縦縞のアルゼンチン型ユニホームを採用し ている学校もかなりあった)、ユースサッカーの試合でも、我々は当然アルゼンチン を応援した。ちょうどすぐ隣に、アルゼンチン人らしき外国人が畳ぐらいの大きさの 手作りのアルゼンチン国旗を振って応援していたが、我々が「Argentina! Argentina !」と叫んでいたのが聞こえたのか、いっしょにそのアルゼンチン国旗を持たせてく れたのであった。さて、まもなくむかえるワールドカップ初戦のアルゼンチン戦、タ コマークTシャツを久しぶりに着て、こんどは日本国旗を振ってテレビ観戦だ!

「サッカーイタリア代表」 98.6.19

ワールドカップでサッカー熱が盛り上がっているところで思い出話をひとつ。私は高 校時代サッカー部に所属していましたが、顧問の先生がサッカー協会に顔がきいたの か、国立競技場で行われた様々な国際試合のボールボーイ(球ひろい)のアルバイト や、当時テレビ放映されていた「釜本邦茂の少年サッカー教室」へのスポット出演等 、様々の貴重な体験をさせてもらいました。そんなある日、なんとイタリア代表チー ムがわが校に練習に来ました。おそらく、「うちには芝のグランドがあるから是非練 習にきてください」とか先生が言ったのでしょう。この芝グランドは東京オリンピッ クのときに何かの競技の練習場としてつくられたものだという話を聞いたことがあり ましたが、私が在学していたときには、すでに芝とは名ばかりの雑草グランドと化し ていて、私たちも、普段の練習は通常の土のグランドを使っていたほどでした。イタ リア代表の選手たちも面食らったことでしょうが、それでも、例の真っ青なユニフォ ームを着て、坦々と練習に励んでいました。特に、ボールの勢いをなにげなく殺して しまう見事な胸トラップは、見学者一同の注目を集めていたようです...書き忘れ ましたが、イタリア代表女子チームでした。

「旧海軍司令部壕を訪ねて」 98.10.6

沖縄出張より帰る途中、豊見城(とみぐすく)村にある、旧日本海軍の司令部地下壕 に立ち寄った。那覇市街からタクシーに乗り、運転手の友人が昔ハブに足首をかまれ て、足全体が丸太のように腫れ上がった話などききながら、10分程度で地下壕跡に 到着。海が見晴らせるちょっとした高台に記念碑とこじんまりとした資料館が建って いて、その脇にある入り口をくぐると、地下壕への長くて暗い階段が伸びている。「 ・・・太平洋戦争中最も悲惨を極めた沖縄戦における海軍部隊の組織的戦闘はここで 終わった。鍬やつるはしで掘った壕には司令官室、作戦室等があり、当時の姿をしの び世界の恒久平和を祈念するにふさわしい戦跡である。」とのパンフレットの言葉通 り、長大な地下通路(よく手作業だけでつくったものである)の壁には掘ったときの つるはしの跡や、自決に使用した手榴弾の破片による窪みなどがなまなましく残って いる。狭くて暗い地下壕に立っていると、ここで戦っていた当時の兵士たちの絶望的 な心情の一端が伺い知れるようである。ここを訪れる人は、誰しも反戦への思いを強 くするに違いない。地下壕から出て、親切に(商売熱心に?)待っていてくれたタク シーの運転手に、なんと感想を述べたらいいか言葉につまった。少年時代に終戦を迎 えた彼は、「投降して地下壕から出ていけば助かったのに、みんなアメリカ人に殺さ れると思いこんでいたんだよね。戦後、アメリカ兵は子供をよくかわいがってくれた よ。」などと言いながら、米兵からもらった1ドル紙幣を記念にくれるのであった。

「秋の鎌倉散歩」 98.11.4

横須賀線北鎌倉駅を降りて3分ほど歩いたところに東慶寺がある。13世紀に開かれ てから明治にいたるまで男子禁制の尼寺で、女人救済の駆込寺として有名だったそう だ。こじんまりとした境内を奥に入っていくとすぐに山肌にぶつかり、墓地が広がっ ている。西田幾多郎、岩波茂雄、小林秀雄といった多数の著名人の墓がある。休日だ が夕暮れ時のせいか人影もまばらでひっそりしていた。参拝を終え門の方に引き返す と、紅葉した山肌が秋のすんだ青空を背景にして夕日に映えているのが望見される。 寺を出て、門のすぐわきにある「吉野」という喫茶店でひと休みすることにした。落 ち着いた店内にコーヒーのいいかおりが漂っている。特製の豆をサイフォンでいれた コーヒーはとてもおいしく、普段はミルクを入れて飲む私が思わず全部ブラックのま ま飲み干してしまったほどだ。自家製のパウンドケーキもよくコーヒーにマッチして いる。店を出て再び歩き出し、亀が谷坂の切り通しにさしかかる。かなりの急勾配だ が、比較的最近舗装し直されたのか、だいぶ歩きやすくなっている。頂上近くに「7 2歳のじいさんが運んだものです。たいせつにしてください。」と書かれた休憩用の イスが並べてあるのには笑ってしまった。切り通しを抜けると、ほどなく鎌倉駅周辺 の雑踏へ。古都情緒を満喫した秋の一日だった。